[vol.18]身体性を取り戻すための逃亡
『ripple letter』は、私たちを取り巻くあらゆる“関係性”に触れるニュースレターです。
何気ない日々の出来事や話題から想像を膨らませて、人と人、人と地域、人と社会の繋がりを感じられるストーリーや考察をお届けします。
Side Story
身体性を取り戻すための逃亡
新型コロナウイルスが流行して以来、自分の人生から「身体性」が落ちてしまった。
おそらく落ちたのは贅肉ではなく筋肉だろう。何かを選んだり、試してみたり、五感を使って判断するシーンが格段に減っていった。そういう筋肉が衰えている感覚がある。むしろ贅肉がついて勘が鈍っている。
地域に移住して今は実家に仮住まいだが、ありがたいことに買い物や料理をしなくても食べられてしまう。おまけに、PayPayで支払っていると財布を忘れたことを夕方になって気付く、みたいなことも時々ある。
そんなほっそりとした暮らしに慣れて、見た目には分からない痩せた自分を見てさすがに危機感をおぼえた。
「とりあえず料理だ」と、休日に近くのスーパーに買い物に出かける。コロナ禍だと忘れるぐらい通常運転の店舗と人流を横目に、アジを手に取った。包丁を研いでから三枚におろす。「ああ、少し身が骨に残ったな…」と振り返りながら、2尾目で刃の角度や力加減に微調整をかけていく。
包丁という道具を通して知覚していく面白さ。そういえば、最近よく聴くポッドキャスト『超相対性理論』でも、「(道具による)身体感覚の拡張は人間の快楽のひとつ」だと話されていたので聞いてみてほしい。
調理をして子どもにふるまうと、美味しそうに食べてくれた。買って、調理して、食べてもらう、という一連のプロセスを経ると、急に自分が息を吹き返した気がした。
・・・
無意識に仕事をしているときは、大概「スーパー論理モード」になっている。
統計や調査、理論、フレームワークがあれば、戦略がどうとか概念的なことも語り狂える。ただ、消費者感覚の自分として判断したいシーンにメッキリ弱くなってしまうことが悩みだった。
これも痩せ細った生活のしわざだ。できるだけ、自分で体験したことのないものを、体験せず論理だけで判断しないようにしようと心掛けている。
そんなあれこれ考えがちな私の頭のなかを、最近は「ずっと真夜中でいいのに。」の音楽がひっきりなしに駆け巡っている。
きっかけはアレクサから不意に流れたJ-POPプレイリスト。そのうちの1曲だった『あいつら全員同窓会』をはじめて聴いた子どもが軽快に踊り出したからだ。やたら細かく早いステップ。くるりくるりと自由に回る。そしてポーズをキメて舌を出して煽ってきた。どうした。
もうすぐ3歳になる子どもは自分で「アレクサ、もう一回流して」と一丁前にオーダーをしてエンドレスリピートがはじまる。「ここからは非論理だ」と言われた気がした。深く考えずに無我夢中に繰り出される踊りを眺めることにした。
それが1週間前のことだが、翌日以降「聴かずじまいはやめよう」と聴きはじめて、脳裏から離れなくなった今に至っている。冷静に考えてただハマっているだけだったが、この身体感覚もよかった。
どうしよう、ここまで書いておいてきれいなオチが見つからない。
これもまた身体性を取り戻すためのお勉強ということで。
Our Interest
“中立な人”は、この世のどこにもいない
600名超の申込みがあったというオンラインイベントのレポートを紹介したい。つい自分は中立だし大丈夫…なんて考えてしまう差別や人権の問題、まずは「中立ではない自分の立ち位置」を把握することが第一歩だ。
そして、私たちの暮らしにはマジョリティがその特権性に無自覚になってしまうように制度や仕組みが張り巡らされている。その瞬間瞬間にアンテナが反応するようになることが必要だ。 記事中に登場するマジョリティとマイノリティの比較表を見て、まずは自分の特権の自覚からはじめたい。無自覚だった特権性に気づくことだろう。
2021/6/24 こここ
差別や人権の問題を「個人の心の持ち方」に負わせすぎなのかもしれない。 「マジョリティの特権を可視化する」イベントレポート
ツバメを見守る夫婦と35年
堅苦しい内容だけでなく、こういうホッとするエピソードも織り交ぜたい。小学生の頃、ツバメが巣を作る家に憧れがあった。長い年月を経て、ツバメたちとこのお家が意思疎通していることに羨ましさを覚えた。
2021/6/9 朝日新聞
ツバメに愛される「お宿」 巣作りを見守る夫婦の35年