[vol.10]目には見えない人間関係のあいまいさ
『ripple letter』は、私たちを取り巻くあらゆる“関係性”に触れるニュースレターです。
何気ない日々の出来事や話題から想像を膨らませて、人と人、人と地域、人と社会の繋がりを感じられるストーリーや考察をお届けします。
Side Story
目には見えない人間関係のあいまいさ
ずっと行ってみたいと思っていた「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」に行ってきた。コロナ禍で中断していたのが今年2月に再開し、三度目の緊急事態宣言でまた閉じてしまったので、その間に訪れる機会を得られたのはたいへん幸運だったと思う。
ダイアログ・イン・ザ・ダークとは何かというと「視覚障害者の案内により、完全に光を遮断した”純度100%の暗闇”の中で、視覚以外の様々な感覚やコミュニケーションを楽しむソーシャル・エンターテイメント」だ。何が起こるのかは詳しく知らずに体験したほうがいいし、仮に説明したところでまったくぴんとこないだろう。これまで体験したことのない感覚に対して、テキストコミュニケーションのなんと無力なことか。
そんなわけで今回書き綴りたいのは、ダイアログ・イン・ザ・ダークの体験そのものではなく、体験後にずっと頭の片隅に残っている、コミュニケーションの不確かさについてだ。
”純度100%の暗闇”の中で、わたしは完全にリラックスしていた。
視覚を断たれたことで、ふだんいかに目に飛び込んでくるノイズに神経をざわつかせていたのか浮き彫りになったというのもある。しかしそれ以上に、とにかく余計なことに心を煩わせる必要がないという「楽だ」という気持ちが大きかった。
完全に見えないというその場では声と触覚によって人あるいはモノとコミュニケーションせざるをえず、そこにはある程度の「約束ごと」が取り決められている。それに従って行動すれば安全であるという、場の信用のようなものがあるからだ。
暗闇の中には3〜6人程度の小さな集団で入っていくが、もし自分以外の全員がいじわるをしてわたしを惑わせるようなことばかり発言し、誤った誘導をしたならば。わたしが出したヘルプに一切応じてくれなかったならば。想像しただけで泣きそうである。
これは、視覚あるいはなんらかの感覚に障害をもつ人とのかかわりかただけの話ではない。ふだんの人間関係でも、なかなか場の信用というものを獲得するのは難しいってことなんじゃないかと思う。
自分の意思を示したいときはこのように行動してね、困ったときはこうしてね、そしてわたしたちは必ずそれに応えるから。そんなふうにルールをきっちり定めてから始まる関係性なんてそんなにない。
学校、会社、そしてパートナーや親子の関係においても、あいまいな前提のままはじまり、衝突することがあればすり合わせをするかもしれないけど、互いが信じているルールがぴったり一致することはおそらく稀だ。
そしてなぜかルールはあいまいなまま進行する。明確にするには社会は複雑すぎるのかもしれないし、それぞれのエゴが介在するせいなのかもしれない。同じルールだと思っていたのに違っていると、コミュニケーションは知らないうちに大きくずれていく。
ダイアログ・イン・ザ・ダークの100分間だけは、全員がルールを共有することができた。それで心から安心することができたのだ。
わたしを取り巻く世界は、なんとかそれに近づけていけないものかとずっと考えている。いや他者とまったく衝突せず同一化したいというのでは人類補完計画になってしまうので、そういうことではないのだけれど。他者が異なるルールにもとづいて行動していたとしても、そこに異なるルールが存在するということを知っているだけでも、怒りや苛立ちを溜め込みすぎずに突破口を探せるのではないかと思うのだ。
Our Interest
デザインと白人至上主義
Kickstarterにて現在サポート受付中のエッセイ『サラリーマンはなぜサーフボードを抱えるのか?』。日本のデザイン業界における「白人至上主義」を取り上げるとの事で、コミュニケーション業界に身を置く立場として他人事とは思えないでいる。また書籍を読んだ後に感想を書きたいと思う。
2021/5/6 Medium
サラリーマンはなぜサーフボードを抱えるのか?:勝手に訳者あとがき
徹底したユーザー目線が築いた信頼関係
2020年11月に20周年を迎えたルナルナ。サービス改善にあたって、ユーザーからの希望の多いものだけでなく、ごく少数であっても要望に応じる場合があるという。常にユーザーに寄り添う姿勢を取り続けているからこそ、アンケートの自由回答欄に感謝の声が寄せられるサービスなのだと感じた。
2020/4/30 XD
すべての女性に寄り添うことを諦めない。ユーザーの声を聞き続けたルナルナの20年と、社会を巻き込むための新たなチャレンジ